日本を代表する俳優、仲代達矢(86)が無名だった70年近く前、毎日のように走った道があるという。東京の真ん中で、戦後と昭和の残り香を探しに出た。
9月半ばの昼近く。仲代は東京・渋谷から六本木へ車で向かった。駆け出し時代から過ごした俳優座劇場を訪ねるためだ。
渋谷・忠犬ハチ公像から六本木へ
車窓から沿道のビルを見つめる。「この先に小林正樹監督が住んでました……」。そんな記憶もよみがえってきた。渋谷から六本木に至る主なルートは二つ。六本木通りは起伏があり、青山通りはなだらかだ。距離はどちらも3~4キロほど。
追憶の道だ。「こんなに走ったのか。若かったんだな、ハッハッ」
1952年。19歳の青年・仲代は、渋谷駅に降り立つと、忠犬ハチ公像の前からおもむろに走り出した。
空襲をくぐり抜けて終戦。定時制高校を出てアルバイトをしながら職を探すうち、俳優座養成所に合格した。家が貧しく、900円の月謝すら滞る。夜は工場など様々なところで働いた。
当時住んでいたのは東京郊外の…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル